カブな人 宮智 英之助 さん part1-2
2014年11月に、ホンダ青山ウェルカムプラザで開催されたカフェカブミーティング。そのバイクフォーラムで登場した宮智さんはC50のデザイナー。当時の様子をお話しされました。その2回目です。
Profile
宮智 英之助 さん
1960年、本田技研工業に工業デザイナーとして入社し、多くのカブのほかダックスなどもデザイン。1996年退職。ちなみに自動車のN360をデザインされたのも宮智さん
カフェカブミーティングでお話するのは、宮智さんと作家の中部博さん。本田宗一郎さんの伝記を執筆されるほどで、当時の様子にも非常に詳しく、トークが弾みます
国内と海外で、 異なる要望に応える
国内でのスーパーカブの使用方法が、業務用とプライベートに分かれてきたその時代。国内で人気の70・も、海外では90・へボアアップされたり、ガソリンタンク容量が足りなかったり…。日本仕様をただ輸出しているだけではダメだということに気づいたそうです。 そこで1978年、宮智さんは東南アジア向けのカブを新しくデザイン。アジアの人も納得するだろうと持って行ったカブですが、あまり評判は良くありませんでした。現地のカブの使い方というのは、物をたくさん積んだり、3~4人乗りが普通だった時代。 「国内では親しみやすくかわいいというコンセプトでしたが、東南アジアでは全く違いました。カブと言えども日本よりもかなり高く、生活の中に占めるカブの割合が非常に重く、生活がかかっているんです。当時のベトナムでは、カブを持っていないと就職ができないと言われていたくらいでした。」 日本のコンセプトが通じるわけではない、ということに日本にいるときは全く気づかずにいました。東アジアでは1年分の給料くらいの価格だから、もっと見栄えのするカブが必要だったのです。そして実際に現地に乗り込み、現地の人と仲良くなり誕生したのが、C700とC900でした。
大ヒットの秘訣は、 意見を取り入れることにある
その当時東アジアでは、四角いキュービックデザインが流行っていたため、ヘッドライトやフェンダー類も四角いカブが生まれました。可愛くて親しみやすいだけでなく、使えば親しみやすいけれど、財産価値であることをイメージさせるデザインが必要とされました。 そのカブは本当にたくさん売れ、タイホンダ6億円の負債を、この一機種でひっくり返したとも言われています。とても大成功で、マレーシアやインドネシアにも大量に輸出されました。未だに四角いカブを東南アジアでよく見かけるのは、その当時の名残なのかもしれません。 「東南アジアの人は、日本より遅れているだろうと、非常に失礼な考えでしたが、実際はそんなことはなく、心を入れ替えました。」 その後もブラジル向けのモデルやダックスなどをデザインした宮智さん。お客さんの要望がダイレクトに入ってくる当時を振り返り、 「今の人はおとなしすぎますね(笑)。きっと今でもホンダは様々な意見を取り入れるDNAを持っているから、今後のカブの発展のためにも、ぜひ意見を言ってあげてください。」と締めくくりました。
Honda C70 DELUXE
シート下にはBOON SIEW HONDAと書かれています。これはマレーシアホンダの社名。当時流行っていた四角いヘッドライトやウインカーが特徴。日本だけでなく、東南アジアでも爆発的なヒットを果たしたスーパーカブ。素晴らしい!
Profile
宮智 英之助 さん
1960年、本田技研工業に工業デザイナーとして入社し、多くのカブのほかダックスなどもデザイン。1996年退職。ちなみに自動車のN360をデザインされたのも宮智さん
カフェカブミーティングでお話するのは、宮智さんと作家の中部博さん。本田宗一郎さんの伝記を執筆されるほどで、当時の様子にも非常に詳しく、トークが弾みます
国内と海外で、 異なる要望に応える
国内でのスーパーカブの使用方法が、業務用とプライベートに分かれてきたその時代。国内で人気の70・も、海外では90・へボアアップされたり、ガソリンタンク容量が足りなかったり…。日本仕様をただ輸出しているだけではダメだということに気づいたそうです。 そこで1978年、宮智さんは東南アジア向けのカブを新しくデザイン。アジアの人も納得するだろうと持って行ったカブですが、あまり評判は良くありませんでした。現地のカブの使い方というのは、物をたくさん積んだり、3~4人乗りが普通だった時代。 「国内では親しみやすくかわいいというコンセプトでしたが、東南アジアでは全く違いました。カブと言えども日本よりもかなり高く、生活の中に占めるカブの割合が非常に重く、生活がかかっているんです。当時のベトナムでは、カブを持っていないと就職ができないと言われていたくらいでした。」 日本のコンセプトが通じるわけではない、ということに日本にいるときは全く気づかずにいました。東アジアでは1年分の給料くらいの価格だから、もっと見栄えのするカブが必要だったのです。そして実際に現地に乗り込み、現地の人と仲良くなり誕生したのが、C700とC900でした。
大ヒットの秘訣は、 意見を取り入れることにある
その当時東アジアでは、四角いキュービックデザインが流行っていたため、ヘッドライトやフェンダー類も四角いカブが生まれました。可愛くて親しみやすいだけでなく、使えば親しみやすいけれど、財産価値であることをイメージさせるデザインが必要とされました。 そのカブは本当にたくさん売れ、タイホンダ6億円の負債を、この一機種でひっくり返したとも言われています。とても大成功で、マレーシアやインドネシアにも大量に輸出されました。未だに四角いカブを東南アジアでよく見かけるのは、その当時の名残なのかもしれません。 「東南アジアの人は、日本より遅れているだろうと、非常に失礼な考えでしたが、実際はそんなことはなく、心を入れ替えました。」 その後もブラジル向けのモデルやダックスなどをデザインした宮智さん。お客さんの要望がダイレクトに入ってくる当時を振り返り、 「今の人はおとなしすぎますね(笑)。きっと今でもホンダは様々な意見を取り入れるDNAを持っているから、今後のカブの発展のためにも、ぜひ意見を言ってあげてください。」と締めくくりました。
Honda C70 DELUXE
シート下にはBOON SIEW HONDAと書かれています。これはマレーシアホンダの社名。当時流行っていた四角いヘッドライトやウインカーが特徴。日本だけでなく、東南アジアでも爆発的なヒットを果たしたスーパーカブ。素晴らしい!
※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。